そういえばこのブログを始めた時点ではまだ「働きたくない」と公言することができなかった。公言どころか心の中で唱えることすらできなかった。
働きたくない。働かないとまでは言っていない。ただ、働きたくない。
ここ1年くらいの間に死生観に関する自分なりの哲学が熟成されてきているんだけど、これ本当にどうしようか迷ってる。「働きたくない」はただ嘲笑されてある意味ギャグとして片づけられるんだけど、これはちょっと勢いで書ける話じゃないぞ。「公開する」ボタン押す前に数日おいて自己検閲しないとやばいぞっていうセンシティブなテーマ。
ただ、「働きたくない」と死生観は切っても切り離せないテーマで、そう考えると「働きたくない」自体、本当はセンシティブなテーマだったのかなと気づかされる。